2人で迎える朝
〜前篇〜
窓から差し込む、一日の始まりを告げる清々しい日の光。 部屋の中に陽だまりを作り、温かく包み込むような光に誘われて、姜維は目を覚ました。 「うん・・・?」 まだ頭が覚醒しきっていない。 見慣れた天井。 これが自分の部屋なのは分かる。 けれど、いつもより頭が働いてくれない。 ぼんやりとした視線を彷徨わせていると、すぐ隣に見知った顔がいた。 「夏侯覇殿・・・?」 初め、姜維は何故夏侯覇が隣で寝ているのか分からなかった。 だが、 「〜〜〜〜〜っ!!」 記憶の糸を手繰り寄せるにつれ、昨夜の己の失態がまざまざと蘇ってきて、またたく間に顔を真っ赤にした。 昨夜は、月英の屋敷でささやかな夕食会が開かれていた。 「日ごろからお疲れのようですから、滋養のあるものを用意致しました。皆さんのお口に合うと良いのですが」 湯気の立ち込める皿が、ところ狭しといくつも並んでいた。 月英は戦場において蜀には欠かせぬ武将だが、武器を置けば立派な夫人である。 夫である諸葛亮がこの世を去っているとはいえ、その腕が劣るわけもない。 かつて諸葛亮も月英の料理は絶対に残したことがないと言う。 彼女の料理の腕前は、蜀中に知れ渡っていた。 「おお、美味そう!」 これまで月英の料理を食べる機会のなかった夏侯覇は、ふわふわな肉まん、こってりした炒め物、とろとろの麻婆豆腐などを前に、子どものように目を輝かせている。 手の込んだ心温まる料理の数々を囲んだのは、姜維、月英は勿論、夏侯覇、馬岱、関索、鮑三娘、星彩といった、馴染みの顔ばかり。 ついつい心が緩んでしまったのと、 「さあさあ、今日くらいはガンガン行っちゃおうよ」 馬岱がどこかの交易品である珍しい酒を、やたら勧めてきたのが失敗の始まりだった。 酒の場で、相手の酒を断るのはどうかと思い、最初は素直に受けていた姜維だったが、あまりにも馬岱の勧めが多いのと、飲み慣れぬ酒が災いした。 「おい、そろそろやめておいた方が良いんじゃないか?」 途中夏侯覇が心配して声を掛けてくれたのだが。 「だいじょうぶです。それほどさけによわいわけではないのですよ」 だいぶ舌足らずになりながら、はっきりと拒絶した。 何だか良い気分だったのだ。 普段酒はたしなむ程度にしか飲まない姜維だから、アルコール度数の高い酒を急ピッチで流し込めば、結果はおのずと分かろうものだが、すでに姜維の頭ではそこまで考えられなかった。 頭の中がふわふわしている。 何故だろう。 何も考えられないのに、その状態が心地良い。 ――――気分が良いから、余計なことまで口にしてしまった。 「姜維殿、良い感じに出来上がってきたね〜。ささ、もう少しどう?」 馬岱がさらに酒を注ごうとしたが、 「いいえ、けっこうです」 初めて姜維は首を振った。 それから、何を考えたのか、自分の隣の席をぽんぽんと叩く。 「ばたいどの、ここへおすわりください」 口調は立派な酔っ払いだ。 酔っ払いに絡まれることこそ、面倒なことはない。 馬岱もそのことに気がつけば良かったのだが、ついつい軽い気持ちで素直に座ってしまった。 そこから馬岱の受難は始まった。 「いいですか、ばたいどの。そもそもあなたというひとは・・・」 そこまで聞けば、これから繰り広げられる面倒な展開を瞬時に予測できる。 馬岱は明らかに「失敗した」という顔をしたが、もう遅い。 姜維の気分は最高に良いから、それに比例して饒舌になっている。 普段の軍議の際以上に、なめらかに、かつスピーディに、普段馬岱に対してたまっている鬱憤を並べたてた。 「あなた、わたしがきがついていないとおもっているかもしれませんが、うまやのかべににんじんのえをかいたのはばたいどのでしょう。そのえをみるたび、うまがやたらこうふんしてしずめるのがたいへんなのですよ」 「う〜ん。なかなかの力作だと思ったんだけどね」 「こどもではないのですから、らくがきはやめてください。それとこのあいだですが、とおのりにでたまましばらくかえってこなかったり、たまのごほうびだとしょうしてうまにさけをあたえていたり・・・」 どうやら、日ごろから馬岱に対して色々言いたいことは募っていたようだ。 延々並べられる説教の言葉はよどみなく、とどまることを知らない。 だんだんと足もしびれてきた馬岱は、対姜維専門の救世主の名を呼んだ。 「か、夏侯覇殿、お助け〜!」 意外にも、夏侯覇はすぐ近くにいた。 だが、半眼で馬岱をじっとり睨んでいた。 「馬岱殿、自業自得っしょ。あんなに飲ませるから」 「でもほら、普段気を張っているからさあ。たまには羽目を外しても良いじゃないと思ったんだよ〜」 酒を勧めていたのは、馬岱なりの気遣いだったようだ。 それが分かったから、夏侯覇は立ちあがった。 そして、 「姜維、ちょっと良いか」 馬岱をさり気なく押しやって、隣に座った。 「かこうはどの? どうされました?」 「別に用ってほどじゃないけど、ちゃんと食べているかなと思って」 夏侯覇は目の前にあった肉まんを手に取り、姜維に渡す。 「ほら」 すると姜維は素直に口に運んだ。 「月英殿の料理はうまいよな」 「はい、とてもおいしいです」 黙々と口を動かす姿が何とも可愛い。 微笑ましく思いながら姜維を見ていると、不意に彼が顔を上げた。 「どうした?」 「いえ。かこうはどのがいっしょだとあんしんするとおもって」 にこりと蕩けるように笑う姜維も珍しい。 表情は緩むし、あまり考えられないので、頭に浮かんだことがそのまま口に出てくる。 「お前、ソレ、反則・・・」 「かこうはどの?」 「ああ、いや、こっちのこと」 姜維の破壊力満点の笑顔に、夏侯覇は顔を真っ赤にしたが酒を流し込んで誤魔化した。 酔っ払いと言うのは、色々な意味で恐ろしい。 「うん?」 と、夏侯覇は肩に重みを感じた。 見ればいつの間にか、姜維が肩に頭を載せて寝息を立て始めていた。 とにかく酔っ払いは言動が突拍子もない。 安らかに寝入っている姜維の顔は、ほんのり微笑んでいるようにも見える。 「まあ、可愛い顔しちゃって」 いつの間にか馬岱が戻ってきていた。 馬岱以外ではない、その場にいた皆の視線が姜維に注がれていた。 姜維が人前でここまで無防備な姿をさらすことは今までなかったし、素面の状態ならこれからもないだろう。 「では、そろそろお開きに致しましょうか」 月英の言葉に異論の声は上がらず、楽しい夕餉はこうして幕を閉じたのだった。 |