『気分快晴』  サンプル




「おー、いたいた!」


 執務室に顔を出した夏侯覇は、姜維の姿を見た瞬間、嬉しそうににっこり笑って近寄ってきた。


「ありがとな! 俺が留守の間、随分頑張ってくれたんだって?」


 都市を留守にした夏侯覇は、帰還早々役人の口から副官の活躍ぶりを聞いた。
 夏侯覇が留守をした間、姜維が都城の治安維持に尽力していたという話は、行きあう役人、住民からも異口同音に伝わってきた。
 嬉しさのあまり、戦で疲れ果てていたことも忘れ、その足で姜維のもとへとやってきたのだ。


「いえ、当然のことをしたまでですよ」


 資料をいっぱいに机の上に広げていた姜維は、言葉は控えめながらも、夏侯覇に褒められたことが嬉しかったのだろう、ほっと穏やかな笑みを浮かべた。


「いやいやいや、なかなかできることじゃないって。俺は優秀な副官殿をもって幸せだな!」


 ばしばしと姜維の肩を叩きまくる夏侯覇に、姜維は「痛いです」と顔をしかめながらも、まんざらでもない様子。
 夏侯覇が喜んでくれた嬉しさが上回っているのだ。


「これはお前に何かお礼しなくちゃな」

「え?」


 何が良い? と問われて、姜維は困惑した。


「ええと・・・」

「何でも良いぜ。何かあるだろ、ほら、欲しいものとか」

「欲しいもの・・・」


 思い浮かべてみるが、身の回りのもので不足しているものは特にない。


「じゃあ、して欲しいこととかは?」

「して欲しいこと・・・」


 ますます姜維は難しい顔をして悩み始めてしまった。
 根が真面目なだけに、何とか質問に応えようと頑張っているのは分かる。
 些細なことにも真剣なのは姜維らしい。


 そういう面をたびたび目にするたびに、可愛いなぁと思ってしまう夏侯覇。
 ついつい構いたくなってしまうのは、もはや宿命であるのだろう。
 困惑する姜維の姿をじっくり見た後で、助け船を出してやった。


「感謝したいのに困らせちまったら意味ねえな。ま、そのうち返すから、何か思いついたらいつでも言えよ」

「あ・・・」


 ようやく一つ思い当たることがあったらしく、唐突に姜維がぽんと手を打った。


「ええと・・・欲しいものとか、して欲しいこととかではないんですが、お願いを聞いてもらう、というのでも良いですか?」

「ああ、勿論だろ。何だ?」


 姜維から何か個人的に要求されることなど普段滅多にない。
 嬉しい気持ちをそのまま笑顔に表した夏侯覇に、姜維ははっきり言った。


「じゃあ、今夜・・・」

「ん?」

「今夜の夏侯覇殿のお時間を、私に下さい」

「・・・は?」


 夏侯覇は一瞬耳を疑った。


「おまっ・・・な、何だって?」

「だから、今夜お時間取ってもらえませんか? 夕餉の後、お部屋に伺いますので」

「えええ!?」


 しれっと言い切る姜維に、夏侯覇は心臓を止められるかと思うほどの衝撃を受けた。


「お前、ほ、本当に、良いのか・・・?」

「え? ええ、その願いで十分です」

「ええと、それって・・・」


 もしかして、と続けようとした夏侯覇だったが、それよりも早くに姜維が言葉を返してきた。


「あ、気づかれましたか? でも、逃げないで、大人しく部屋にいて下さいね」

「・・・・・・」


 何となく会話が噛み合っていないのだが、残念ながらいつもなら察せられる夏侯覇は、激しく心をかき乱されて、只今絶賛混乱中である。
 姜維の真意に気づけないでいる。


「じゃあ、私はそれまでにこれらの仕事を片付けますので」

「あ・・・ああ。んじゃな」


 茫然自失したまま、夏侯覇は姜維の執務室を後にした。