『そらの彼方』  サンプル




「んっ・・・」


 頭がガクンともたげて、姜維は目を覚ました。
 自分の私室に持って帰ってきた竹簡を、心もとない明かりの下で読んでいる最中だった。


 それがいつの間にか、うとうとと舟を漕いでいたようだ。
 いけない、いけない。首をふって眠気を覚まそうとして。


「おっ、起きたな」


 真下から声を掛けられてびっくりした。慌てて目を下に向けると、


「よ、おはよ」


 にっこり笑った夏侯覇がいた。


「えっ!? か、夏侯覇殿?」


 いつの間に、自室にいたのだろう。気がつかなかった。
 姜維の膝を枕にしていた夏侯覇は、よっこらせっと身を起こした。


「ずいぶん疲れているみたいだな。無理せず休めよ。お前が倒れちゃ蜀も倒れるぞ」

「心配してくれたんですか? わざわざ訪ねてきて下さって」

「あほ。そんなに簡単に感動すんなって。俺は下心アリだぞ」


 そう言って夏侯覇は姜維の額を小突いたが、これは彼の照れ隠しの表れであることは、姜維はすっかりお見通しである。


「仕方ないですね。これ以上続けても成果は上がらないようですし」

「だろ。俺じゃあんまり役には立たんが、明日になったら手伝ってやるから」

「分かりました。期待していませんから、よろしくお願いします」

「お前な・・・」


 むっとした夏侯覇だったが、すぐにふっと笑顔に変わった。


「何ですか?」

「いんや、何つーかさ、お前のその軽口も、俺への甘えの証なんだろうなぁって」

「え?」

「だって、前はそういうこと言わなかったぜ、お前」

「そ、そうですか?」


 自覚がないから比べられないが、嘘のない夏侯覇が嬉しそうににこにこしているのだから、真実なのだろう。
 無意識のうちに夏侯覇に甘えていたなんて、心の中を見透かされたようで何だか無性に恥ずかしい。
 そんな姜維の心の声も察知した夏侯覇は、ぎゅっと姜維の頭を抱いた。


「まあまあ、良いじゃねえか。お前を甘やかすのが俺の特権なら、俺に甘やかされるのがお前の特権なんだから。素直に甘えとけば良いんだよ」

「何だか子どもみたいです。迷惑じゃないですか?」

「迷惑じゃねえなあ。むしろもっと甘えろ。あっ、お前のことは子ども扱いしてねえぞ?」


 そう言って、夏侯覇はあっという間に姜維の唇を奪う。
 不意を突かれた姜維は顔を真っ赤にした。


「夏侯覇殿っ!」

「あはは。怒るなって。さっきも言ったろ? 俺は下心アリだって」


 にっこり笑ったかと思うと、夏侯覇はいとも簡単に自分より頭一つ分大きい姜維を抱き上げた。


「わっ!」


 驚いてとっさに姜維は夏侯覇の首にしがみつく。


「大人しくしてれば、振り落とされたりしないって」


 そんな姜維の様子を面白そうに笑う夏侯覇。行き先はまっすぐ寝所に向かっていた。


「あ・・・あの、夏侯覇殿・・・?」

「何だ?」

「は、運んでいただくのは有難いですが、その、このまますぐ休むんですか? 夏侯覇殿は?」

「!」


 さらりと問いかけられた夏侯覇は、一瞬ひどく驚いたように目を見開いた。かと思うと、一気に顔を真っ赤にさせた。


「〜〜っ! お前な〜。人がせっかく色々我慢して、素直に寝かしつけてやろうと思っていたのに」

「ええっ!? 夏侯覇殿?」


 彼が顔を真っ赤に染めた理由が分からず、あたふたする姜維。
 己の爆弾発言の効果については全く気がついていない様子だ。
 それが姜維らしいと言えば姜維らしい。
 だが、夏侯覇の心の中には理不尽な悔しさがこみ上げてきた。


「あーっ、もう、やめやめ! やっぱり俺に我慢は合わないな」


 寝台の上に姜維を下ろすと、その上からじっと姜維の目を見つめる。
 とりわけ強い使命感を帯びた、意思の強い光を放つ双眸に誘われて夏侯覇は身をかがめた。
 重ねた唇から姜維のぬくもりが伝わる。


「んっ・・・」


 もっと感じたくて、薄く開いた唇の間に舌を挿し入れる。
 慣れない行為にピクリと震えはしたものの、姜維のほうからもたどたどしい感じで舌を絡めてくる。
 

 ――――もう、どうにかなりそうだ。


 互いが抱えている想いが同じだということは、長く深い口付けを通してお互いが感じ取っていた。
 抵抗がないのは、この行為の先をうながしている証だと認識して、夏侯覇は姜維の夜着に手を掛けた。
 袷から直接手を這わせると、


「んんっ・・・!」


 姜維は鼻にかかった息を漏らし、夏侯覇の手に己のそれを重ねた。
 この先を不安に思ったのか、無意識のうちに動いたようだ。


「姜維、大丈夫だ・・・」


 くすりと笑って、夏侯覇はそう姜維の耳元で囁く。


「あ・・・」


 いつもより低く、かすれた声に、姜維の手の力が弱まった。


「すみません。分かりました・・・」

「ん。良い子だな」


 夏侯覇の大きな手が姜維の頭を撫でた。



   《本編へ続く》